FAMILY  子育てについて
子供と遊ぶということ
みんなで遊ぼう
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子供と遊ぶという事について(2001.5)
子供たちとおとなの感性はずいぶん違います。パパとママにとって嬉しい旅行でも、子供たちにとっては
いたずらに移動時間の多い、退屈な旅行になってしまう、ということは残念ながらよくあることです。
子供たちは、お金と時間をかけて遠くへ連れて行ったからといって喜んでくれるとは限りません。

子供たち(特に小学生ぐらいまでの子供たち)にとっては世界は見慣れないもの、もの珍しいもので
みちあふれていますから、わざわざこれ以上新しいものを見に出かけるよりも、家か、近くの公園で
いいからみんなで一緒に遊びたい、という気持ちの方が強いと思うのです。
ですから、たまに家族サービスをするよりも、少しの時間でもいいから日ごろから一緒に
遊んだり、散歩をしたりするほうが子供にとってはうれしいだろうと思います。

そして、子供たちと遊ぶときには、出来るだけ親と子供両方が楽しめる遊びを選ぶようにして、
“遊んであげる”というスタンスで子供たちに接しないように心がけるべきだと思っています。
なぜなら、親にとって子供たちの喜ぶ顔を見ることが楽しみである以上に、子供たちは
親の喜ぶ顔を見たい、と心から願ってくれているからです。
子供たちの親に対する思いを大事に受け止めてあげましょう。そして家族が強い信頼で結ばれていれば、
家族一緒にさえいれば、いつになっても、どこへ行って何をしても楽しめるようになれると思うのです。

できれば、家族みんなで一緒に思い切り楽しく遊んで、そして、子供たちに
「一緒に遊べて本当に楽しいよ、そして大好きだよ」と伝えてあげられれば、…それが一番ですよね。
ゲームの効用(2001.7)
ファミリーみんなで遊ぶことが出来るボードゲームは子供とのコミュニケーションツール
として非常に優れたものだと思います。
ちょっとした空き時間に手軽に遊ぶことが出来ますし、ゲームの中では親子でも対等の立場
で競い合って楽しむことができますから、確実に親子共通の話題もふえていきます。
また、みんなで一緒に遊んでいる中で、子供たちは礼儀、協調性などを学びとっていくこと
ができます(みんなで楽しく遊びたければ自分勝手なことはできません)。
更に、さまざまなゲームを知ることを通じて確率など勉強にも役立つ概念や、新しい物事、
考え方を柔軟に理解し、受け入れる力を身につけて行くこともできるでしょう。
同じゲームでも、TVゲームは1人で遊ぶ要素、またはコンピュータに遊んでもらう要素が強い
ため、上記のような効果は期待しにくいのではないでしょうか。

このようなすばらしいボードゲームが日本であまりポピュラーにならないのは、ひとつには
優れたゲームがなかなか手に入らないのも原因のひとつでしょうね。
身近に優れたゲームを売っている店を見つけることはなかなか難しいかもしれませんが、この
ホームページなども参考にしていただいて、ぜひ優れたゲームをファミリーで遊んでみてください。
必ず良さが分かって頂けると思います。

小さな子供にゲームを教えるためには、子供の成長に合わせてゲームを選んであげることが
大切だと思います。いきなり難しいゲームを選んでも子供たちがついてこれません。
最初は、ウノや動物探しのように色と形(数字)を合わせるだけでできるゲームから始めましょう。
そして数が分かるようになってきたら、すごろくのようなダイスを使って駒を出た目だけ進める
ゲームを選び、その後モノポリージュニアのようなお金を使うゲーム、その他のもう少し複雑な
ゲーム、と進んでいくのがいいと思います。ゲームを通じて、子供たちが数を数えること、
簡単な計算をすること、文字を読むこと、などを自然に覚えていってくれることでしょう。
しかし、何よりもすばらしいことは、ゲームに負けたときに我慢ができるようになってくれること、
そして、勝ったときにも負けた相手の気持ちを思いやることができる、優しい気持ちを持った
子供たちに育っていってくれることなのです。
子育てって何だろう(2001.12)
親にとって、子供を育てるということは、子供と一緒に育ちなおすことなんだな、とつくづく思います。

親として、子供たちのしていること、大事にしているものなどを見ていて、“馬鹿なことをしているなあ”
なんて思いつつも、かつての自分も同じようなことをしたなあ、と思い出す事は良くあります。
子供たちは、時代や背景の違いこそあれ、かつて自分が通ってきた道を通って成長していきます。
そして、ある意味において、子育てとは自分の子供時代を視点を変えて追体験することに他なりません。

こうした視点に立って考えてみると、親として子育てを通じて子供たちと向き合うということは、
自分が年をとって大人になるとともに忘れてしまっていた、子供のとき誰もが持っていたはずの
みずみずしい感性や素朴な価値観を思い出すいい機会になるんだと思います。
そして、そのような子供たちの感性や価値観を再発見することは、大人である親にとっても自分の
今の生活を反省し、見直すためのいい薬になると思います。
そういう意味では、子供たちに教えられる事も本当に多いということですね。

他方、子育てにかこつけて、子供たちと一緒に遊ぶことはとても楽しいことでもあります。
数十年前の自分に戻った気分で子供たちにあのころの遊びを教えたり、今の遊びを教えてもらったり
して遊ぶのも楽しいですし、子供たちと一緒にいればこそ出かけられる場所もたくさんあります。
虫たちも、星々も、海も、子供がいなければ忘れてしまったままだったかもしれないと思います。

このように考えていると、子育てとは、子供に対する義務ではなく、親に与えられたごほうびなんだなあ、
と感じるに至ります。もちろん子供は親として守るべき存在であり、教え導いて育てなければならない
のですが、同時に、子供たちは、幸せと安らぎを分けてくれる天使たちでもあるのです。

ですから、子供たちを“育ててあげる”のではなく、“一緒に育ててもらう”ぐらいの気持ちで、与えられた
毎日を大切に、パパ、ママ一緒に、子供たちと一緒に育ちなおすことを楽しんでいきたいと思うのです。
今は通過点(2002.2)
私たちが親になってから11年半が過ぎました。次々と子供たちが生まれ、その時々は大変でしたが、
過ぎてしまえば本当にあっという間の楽しい日々でした。今は子育ての中間点だと思っています。
そして、これからもいろんなことがあるんだろうな、と思います。

今までのところは本当に大きなトラブルもなく、無事に過ごしてきましたが、いつ何があるかは分かりません。
ですから、“湖を滑るように泳ぐ水鳥のように”水面下で不断の努力を続けて行かなければならないんだな、
と思っています。信頼関係や、幸せというものは実にもろいものですから…

親子といえども、お互いに甘えず、けじめと緊張感のある関係を保っておきたいですね。
ゲームに求めるもの(2002.4)
ゲームをする以上、プレイヤーは当然ゲームに勝つことを目指してプレイしなければなりません。
(1人でも勝とうとする努力をしないプレイヤーがいたらゲームは成り立たなくなってしまいます。)

そして、多人数で遊ぶボードゲームでは、ゲームに勝つためには競争相手であるほかのプレイヤーを
出し抜いたり、時にはだましたり、裏切ったりする事が有力な戦略になることがよくあります。
もちろん、ひそかに策を練って他のプレイヤーをあっと言わせたり、あるいは他のプレイヤーの意外な
行動にショックを受けたりすることもゲームの楽しみのひとつなのですが、ゲームの参加者の中に
子供や、初対面の人や、ゲームに不慣れな人などがいる場合には、勝つためには当然であるはずの
行動が、他のプレイヤーのゲームの楽しみを奪ってしまい、そもそものゲームの目的
(みんなで楽しく遊ぶこと)を損なってしまうことになる場合もあります。マルチゲームは難しいですね。

できれば、ゲームをする以上みんなが楽しい時間を共有できるように、ゲームに勝つ技術と同時に、
ゲームを楽しむ技術、そしてゲームを一緒にする相手みんなを楽しませる技術を持ちたいですね。
子供たちにも、自分が勝つことだけではなく、一緒に遊ぶみんなが楽しむ事も考えて遊ぼうね、
といつも話しています。人生において、人はいろいろな厳しい競争にさらされて生きていくのですから、
ゲームの中でまでしゃかりきに勝ちに行かなくてもいいですよね。
今は、勉強よりもみんなで遊ぼう(2002.11)
うちの子供たちは水泳と体操、習字は教えていただいていますが、学習塾には行っていません。
子供たちには、“せっかく学校に行くのだから学校で教わったことはちゃんと覚えようね”と言い聞かせて
います。そして、勉強よりも今は本を(たとえマンガでもいいから)たくさん読むことを勧めています。
もし、子供たち自身が望めば塾にも行かせるつもりですが、今のところ行きたいとは言わないですね(^^ゞ。

もちろん学校の勉強にちゃんとついていけていることが前提ですが、小学校から中学校ぐらいまでの
子供たちは、勉強よりも、友達と遊んだり、何かを作ったり、その他のさまざまな社会体験をする中で、
豊かな人間性をはぐくんでいく事の方が大事だと考えています。また、本を読んで、その登場人物に
感情移入し、追体験をするということは非常に大切な勉強になると思います。
そして、今の子供たちが、“小公子”、“海底2万マイル”、“赤毛のアン”、“フランダースの犬”、
“あしながおじさん”、“イソップ童話”等々の当然読んでおくべき(世界中の子供たちが読んでいる)
古典の名作をほとんど読む機会がないことの方が勉強ができないことよりずっと問題だと思っています。
<映画“ネバーエンディングストーリー”も同じような視点をテーマにしていましたね>
おかげさまでか、うちの子供たちはみんな本が好きですね(マンガはもっと好きですが)。

今は、家族みんなができるだけ一緒に遊んだり、話をしたりする時間を大事にしたいです。
ですから、たとえ勉強が必要な場合でも、塾など人任せにしないでパパ、ママが子供たちに直接
教えてあげたいですね。ゲームの合間にでも…(^^ゞ
いずれ勉強しなきゃいけないときは来るんだし、まだあくせく勉強しなくてもいいじゃない、と思っています。
子供たちには負けたくない(2003.7)
子供たちにあれこれ指図したり、説教したりするのは、もう親の本能と言ってもいい行動パターンですね(笑)。
“勉強しなさい!”、“早く片付けなさい!”、“さっさと寝なさい!”…ついつい言ってしまいます。
子供のためとはいいながら、我ながらあまり説得力のない指図をしてしまっていることも時々ありますね。
そういう指図には子供たちも納得がいかず、素直には動きませんから、余計に小言が増えてしまいます…。

そんなことに対する自戒も込めて、子供にやらせる事は出来るだけ自分たちもやろう、自分たちにも出来る
ことをやらせよう、と心がけています。親が一度やって手本を見せると子供たちも納得しますし、
又、子供たちに親の力(いいところ)を見せるいい機会にもなります。
それに、あまり面白くないことでも、みんなで一緒にやるとわりと楽しくすませてしまうことができますしね。
勉強についても、まだまだ子供たちには負けない、というつもりで教えていますが、中学生にもなってくると
だんだん自分の知識があやふやなところが出てきて、うろたえることもあります(^^ゞ。
それでも、子供が高校生になるぐらいまでは、もう一度勉強しなおしてでも何とかするつもりでいます。

子供たちもどんどん成長して大きく、強くなっていくのでしょうが、勉強にせよ、遊び(ゲーム)にせよ、
そう簡単に子供たちには負けないつもりで張り合っていきたいと思っています。そして、どこまで維持できる
かはわかりませんが、子供たちにとって、一つの目標たりうる親でありつづけたいと考えています。
……こんなことを考えるのも老化の第一歩かもしれませんね…。
叱る、ということについて(2004.4)
家族で暮らしていく、子供を育てていく、ということは楽しいことばかりではもちろんありません。
叱る原因は様々ですが、声を荒げて子供たちを叱りとばさなければならないときもあります。
もちろん叱られる子供たちにとっても、叱る親にとっても決して愉快なことではないのですが、
子供たちが間違った考えを持っているとき、約束、責任を果たさずに逃げているとき、あるいは
人に対しての思いやり、配慮にかけているときには覚悟を決めて怒ることにしています。
子供たちには、自分の責任はきちんと果たし、約束は守る事が出来るようになって欲しい
ですし、なによりも、自分に自信を持ち、自分で自分を好きでいて欲しいですから。

そして、叱る際には以下のことを心がけようと思っています。
(1)叱っている原因、理由をはっきりさせること
(2)叱り始めた以上は絶対にお互いが納得出来るまで続ける覚悟で中途半端にしないこと
(3)親が怒っていることをストレートに子供に伝えること
(4)今後どうするのか、どう改めるのか(話し合って)はっきり約束させること

人は弱いものですからややもすると安易な方に流れてしまいます。そうした際、取り返しの
つかなくなる前に見とがめて叱るのも親の責任なんだろうと思います。
…でも、叱ったあとは、本当に自分に叱る資格があるのか、又叱るだけの事が出来ているのか、
自問自答して落ち込んでしまいますね。
それでも、(たまにですが)しばらくたってから子供たちの方から、“叱られたけれど、あの時
注意してもらっておいて良かった”といわれると本当に救われる気がします。そして、
“もっとしっかりした親になれるようにがんばるから、お互いに頑張ろうね。”と思います。(^^ゞ
いい応援団でありたい(2005.8)
子供たちも成長するに従って、親と一緒に行動する機会も徐々に少なくなり、代わって子供同士、
あるいは一人で出かける機会が増えてきます。子供たちが親から離れ、どんどん自分自身の世界を広げていく
時期に入った、ということだと思います。一緒に行動するのももうしばらくのことでしょう。
親にとっては少々さびしくもありますが、あまり干渉せずに出来るだけ子供たちがしたいようにさせて
あげたいもの、と考えています。また、その時々に出来ることは、“まだ早い”と辛抱させるより、
極力実現させてやりたい、とも思っています。

親にとっては結論が見えているようなことでも、子供たちには自分自身で経験しないと分からないであろうこと
も世の中には多いですから、出来るだけ子供たちがいろんな経験を積んでいくことを後押ししたいと思います。
でも、あまり変な失敗をしても何ですから、子供たちには親の若いときにやらかした失敗談をたくさん話すよう
にしています。子供に笑われるのは少々恥ずかしくもありますが、子供たちが少しでも追体験をして、
親のような馬鹿な失敗をしないようにしてくれればと思っています。
…まあ、子供たちとの格好の話題にもなりますしね(^^ゞ。

あと数年間の子育ての期間、できれば子供たちのいい相談相手、いい“応援団”でいたいな、と思っています。
子供たちが親をどう思っているかは分からないですが…。
見逃したくない(2005.9)
子供たちの成長にあわせて、いろんなイベントがありました。
体育会、音楽会などの学校の行事、そして水泳教室や体操教室などでのイベントや送り迎えなど、
それぞれの出来事に親としても色々な楽しみがありました。
しかし、時と共に子供たちはどんどん成長し、それに伴って親が関与できることも減って行きつつあります。

親の生活に比べて子供たちの生活ははるかに変化に富んでいる、という事を改めて実感します…。
パパ、ママの生活はこの十数年(老化以外)あまり変化がありませんが、子供たちは最も長い
小学校でも6年間、そして中学校と高校はそれぞれわずか3年間で通過していきます。

末っ子のかなちゃんも来年には小学校を卒業し、なっちゃんは高校生になります。
今は学校行事などにならんでゆうやくんのサッカー部の応援が主な興味ごとになって
いますが、多分来年の年末にはそれらの事も思い出になってしまっていることでしょう。

授業参観にせよ、合唱コンクールにせよ、その他の色々な行事にせよ、子供たちにとっても、そして
親にとっても人生の中で何度もない大切なイベントです。しっかりと子供たちの成長を見届けると
共に、親の立場でそのイベントを楽しみたい、と思うのです。
漫然と過ごしてしまった自分の青春時代と同様、子育ての時期もまた2度とは来ないのですから。
自分の思うように生きていってほしい(2007.3)
大学全入時代、と言われるようになっていますが、子供たちの塾通い、受験勉強は昔も今も
変わらずに大変であるようですね。最近では私立の中学校・高校を受験する子供たちが
相当の割合にのぼる、という話も耳にします。

親が子供たちを受験勉強にかりたてる場合、親はそもそもは、子供をいい学校に入れて、
より良い環境で育ててあげたい、そして、就職などの面でより良い未来が見えるようにして
あげたい、という気持ちからなのだろうと思います。
でも、時として目的が少々変化してしまい、いい学校の受験に合格する、ということが
目的化してしまっているケースもあるようですね。

パパはバブルの登り坂のころ、大学を卒業して大手の銀行に就職しました。
仕事は充実感がありましたし、又給与などの待遇も良かったのですが、
連日深夜に及ぶ仕事と数年ごとに訪れる転勤は、自分が望んだものだったのだろうか、
と感じるときもありました。一緒に働く仲間・上司は皆この生き方が当然、という感じでした
から自分も当たり前のように働いていましたけれど。

今、私達は故郷の街に住みついて家族と暮らしています。決してダイナミックでも
華やかでもないかもしれませんが、家族と過ごす穏やかな暮らしに満足しています。
でも、パパがかつて勤めていたあの銀行は、バブル崩壊の波に飲み込まれてしまって
今では名前も残ってはいません。

人はみんな一度きりの人生を送ります。他の人に比べて平凡であろうが、波乱万丈で
あろうが、本人にとっては初めての、そして最後の人生経験です。
だから、他の人と見比べて、あるいは他の人の価値観に基づいて人生を測ることには
それほど意味がないのかな、と今では思うようになっています。

子供たちは子供たちの意思で、そして希望で自分の人生を切り開いていけばいい、
どんどん失敗もすればいい、と思います。そして、親としてはそんな子供たちを
後ろからはらはらしながら見ていればいいのかな、と思っています。
また、親の庇護にある間はことさらに試練を与えて努力や苦労をさせなくても、
大人になってからいろんな壁を経験するだろうからあわてなくてもいいように思うのです。
子供たちへの手紙(2007.8)
毎日勉強やクラブ活動、美術学校などで忙しいことと思います。
又、友人と遊んだり、ゲームをしたり、本やマンガを読んだり、などやりたいことも
たくさんあるのだろうと思います。一日がさぞ短いことでしょう。
又、気が乗らない日も、ゆっくり休みたいと感じる時もあるでしょうから、
なかなか机に向かって勉強する時間が十分にはとりづらいことはよく分かります。
ましてや、学校の宿題なども多い中、通信教育などの追加の教材をこなしていくことが
大変であることも十分理解できます。

親の立場からすると、貴方たちがちゃんとやるべきことをやれているか、
また困ったことはないか、など心配なのであれこれ口を出したくはなるのですが、
貴方たちにただ勉強させることが目的ではないことを理解しておいてください。

勉強は必ずしもしなければならないものではありません。
もちろん社会人としてしっかりした教養、常識を身につけておくことは大切な
事ですが、それらは別に参考書やワークブックをこなすことによって身につく
ものではありません。又、進路によっては必要のない学問もたくさんあります。
端的に言って、もしも貴方たちが自分で勉強することが不要だと判断すれば、
それはそれでかまわないと思っています。
但し、もしもまだ自分のやりたいことがはっきり決まっていないのならばやはり高校まで
の勉強はしっかりやっておく方が望ましい(将来の可能性が広い)と思いますけれど。

貴方たちに望みたいことは、
1)自分で決めたことはきちんとやろう、という意識を強く持つこと
2)物事が予定通り行かないとき、その状況を放置せずに問題解決策を考え、
  状況を改善しようとすること
ということです。今、自分で自分をきちんとコントロールする習慣、困難なことから
逃げない習慣をきちんと身につけてくれることが一番の私たちの望みです。

決めたことをきちんとできないことが当たり前になること、すなわち失敗癖がつくことが
怖いのです。物事がうまくいかないときにすぐにあきらめてしまう習慣がつくことが
困るのです。そして、問題点があっても、やらなければいけない物事があっても先延ばしに
してしまうようになって欲しくないのです。

どうか粘り強くなってください。簡単にあきらめない人になってください。
貴方たちが自主性をきちんと持って自分の人生を切り開いていこう、という気持ちを持って
いてくれるのなら、私たち親は出来るだけそれをサポートしていきたいと思っていますし、
あまり貴方たちのすることに口を挟まないようにしたいと考えています。

最終的には自分が決めることです…頑張ってください。